おみくじを引いて、いざ気になるところを読んだものの、意味がわかったような分からないような、不思議な表現で首をひねってばかりです。特に、「待ち人来たらず」、、なんて書かれるとがっかりするものですが、この待ち人来たらずって本当はどんな意味なのでしょう?
来たらず障りあり
「障り」とは、支障があること、都合がわるいことの意。
来たらず障りありならば、何か都合の悪いことがあって来ないという意味です。 また、未知の相手との出会いという観点からは、何か(運命的な意味で)支障があって(今は)出会えない、という意味です。
これは障害がある、または良くない事が起こるという意味を指すばかりではなく、今は、最良の時ではない、という意味も含まれます。ですので、将来は良縁に巡り会えるかもしれません。
「待ち人」が「来ない」シリーズにはおみくじによって様々な表現があります。
一例を挙げると
「待ち人来る少し遅かるべし」「待ち人来たらず、道中障りあり」「来たらず障りあり」などです。
どの場合も一意に意味を捉えることもできますし、含みを持って理解しても通ります。いずれにしても、気の持ちようとも言えます。
良いと思えば良し、悪いと思えば悪しということです。自分がどう思って、それをどう捉えても前向きに生きる人は良い結果を産み、または得、消極的に後ろ向きな人は良い結果を得ることは難しいということです。
いずれにしても「障る」というのはその人にとって不本意な状態を指しますので、障りのある時は控えるのが吉です。
さわる(障る)とは何でしょう?
但し、不本意な状態だからといって、良くないものことばかりではありません。例え不本意な状態であっても、人が成長をするのに必要な障害として運命が用意した大切な鍛錬と捉えるのが良いと思います。
不本意な状態というのは、自分自身が自信過剰であったり、高慢であるときに鼻っ柱をくじき、謙虚さを身につけるのに必要な場合に現るものです。
時に、障りが重なるということがあります。不都合なことというのはなぜか度々、あるいは、一度に来ることがあります。その場合は身辺を見直し、自らを戒める必要があります。何か自分の気に入らない事があったり、起こったりした場合にもそれは全て自己の行いの結果であると考える必要があります。
因果というのは、あらゆる選択が収束して発生する関係の事です。極端な事を言えば、私とあなたが出会うのは、あなたの両親が結婚し、私の両親が出会ったからだということです。
もう少し別の表現で説明するなら、交通事故の被害にあったとしても、その事故現場まであなたを運んだのはあなた自身だという意味で事故の原因の一端を担うことになるのです。
これは物事の良し悪しではなく、結果として原因になっているということで、どんな結果であれ、多少の咎は自分にもあると考える必要があるということです。
障りというのは、良くないモノは全て自分の外のせいだと考える人に頻繁に起こります。人が自分を苦しめるのではありません。己の心が自分自身を苦しめるのです。
例え障りがあっても、自分自身が自信に満ちて、明るく積極的な人であれば、自ずと道は開けていきます。楽しく無い時期であっても努めて明るく、積極的に振る舞うよう心がけることで、気分は明るく晴れやかになっていきます。また周囲の人もそんなあなたに魅力を感じるものです。
まちびと(待ち人)とは誰のこと?
おみくじで言うところの「待ち人」というのは、現在あなたが、心待ちに待っている人だけを指すわけではありません。もっと遠く離れた未来に出会うかもしれない相手であったり、過去に出会った人との再開であったりと、貴方自身の置かれている立場や状況によっても変わってきます。
行く道に障りがあれば、将来出会う可能性があった人とは出会えないかもしれません。その結果とし、あなたが代わりに出会う事になる人は、あなたにとって最良の人ではないかもしれないのです。
「待ち人遅くとも来る」、などの意味を捉え違うと起こる事態です。「遅くとも来る」は、待ち合わせ時間に遅れてくるという意味ではなくて、あなたが合うべき人はいずれ来るけれども、それは今では無いという意味です。この時期に焦って行動を取ると往々にして障りのある道に踏み込むことがあります。
例えば、告白をしたけれども、1ヶ月経っても返事がもらえていない時にこのおみくじを引いた時の解釈は次の通りです。
「待ち人」とは、恋人あるいは伴侶になる人の事。但し、その人は告白をした相手とは限らない。「遅くとも来る」、とは返事が遅れて来るという意味よりは、今はその時期ではないが、いつかそのうちにやってくるということです。もちろん告白をした相手ではない人から来る可能性もあります。一つだけ確かに言えることは、今はその人が来る時期ではないので慌てて行動するよりも気長に待ちましょう。ということです。
「神仏は尊ぶべし、頼るべからず」
おみくじは神仏の言葉を表したものです。神仏は頼るべからずとは、神様や仏様は決して手助けをしてくれる存在ではなく、道を示してくれるだけなのです。その道を行くも行かぬも貴方次第で、神仏の言葉を尊ぶことで誤った道に進まないで済むということです。
神仏をお参りするということは、お願いを聞いてもらうためではなくて、貴方自身の決意表明と、覚悟を伝え、またはその結果の報告と御礼をするためです。お賽銭というのは、この世を生きていくのに非常に重要な金銭を捧げることで、決意の程をはかる為のものです。
世の中に起こることは全て何かしらの意味があります。良いことも悪いことも意味があってそこにあるのです。
神仏はその良きにつけ悪しきにつけ、人々を見守り導く為にそこに在るのです。
ちなみに、この言葉は剣豪と言われた宮本武蔵のものとされています。彼の心境としては「神仏は確かに尊いものである、そして人智の及ばぬ力を持っている。しかし、人智を超える力を頼んではいけない。その頼るという心根が既に隙を産むこと他ならないのだから。」という意味だと言うことです。
よいお年を♪