先送りや後回しをやめる。ヘタでも何でもいい。ともかく終わらせる。
毎日毎日、宿題は?時間割の準備(翌日の学校に持っていく教材を揃える)は?お手紙は?
うちの息子は毎日のように、そんな事を注意されています。
最近では注意されることに慣れてきてしまって、言われても「うんうん」と生返事ばかりで困ったものです。
そしていざ何かを始めようとすると、決まって「あ、あれやらなくっちゃ」と他の事に・・・
これはどうしてなんでしょう?
先送りや後回しは面倒くさいから
やらなくてはいけない事をついつい先延ばしにしてしてしまう事って、大人でも結構あります。
ご飯の支度をしなくてはいけないんだけど、そんな時に限って普段大して興味のないことに不思議と興味が惹かれたりします。
ニュースの国際情勢なんて興味ないのに、夕方にやっているニュースだけはみてしまい、気が付くともう6時!慌てて夕飯の支度をしたりしています。
子どもばかりではなくて大人にも同じようなことはたくさんあって、ついつい先延ばし、ちょっと後回しなんてことはあるのが普通です。
「物事には片付けなければいけない優先順位の高いものから順番を付けて片付けなければいけないんだー」と言われてもやっぱり面倒なものは面倒なんです。どんなに頑張ってもやらなくてはいけないって思っても、面倒に思うものが突然面倒じゃなくなるなんてことはそうそう無いのですねぇ。
そうなんです、先送りや後回しは、目の前にある面倒事を回避したいという心の現れです。「うぉ、めんどくせーことみっけた、ラッキー」なんていう変人でもない限り普通は面倒なことは後回ししたくなるものです。
でも、優先順位の高い食事の支度ややらなければ怒られるって分かりきっている宿題なんかはやらなくても逃げきれるものではないし、面倒だからやらないっていうことよりも、やらないでいることで怒られたり、罪悪感を感じたりすることの方が後々考えれば大きなストレスになるはずですよね。
大人になればなるほどそういう面倒なことが増えてきて、やらなかった時のイタイ思いも蓄積されるのでできるだけ面倒なことでも先に片付けるようになってきますが、子どもはそうは行きません。
子どもは目の前のめんどくささを克服して先に進むという経験が乏しいので、それをやり遂げればどうなるのか?どんな喜びが待っているのか、どんな解放感が待っているのかが分かりません。
また、それをやらなかった場合、どんな面倒な事が待っているかも経験上分からないのです。
それと、子供の関心というのは大人に比べると格段に短い時間で転々とします、次から次へと関心事が移り変わっていくので一つの事に集中できる時間は極めて短いと言えます。
ですから目の前の面倒くささに簡単に負けてしまうのです。
面倒くささの裏側には自信のなさが隠れている
後回しや先送りは面倒くさいからだということが分かりました。
では、「面倒くささ」とはなんでしょう?
ゴミ箱まで歩いていくのが面倒なので、ごみを放り投げて捨てようとするとか、1歩2歩あるくのが面倒なので、リモコンを使うとか、面倒くささにもいろいろありますが、やらなくてはならないと分かっていることが面倒になる一番の理由は、やはり、その作業が興味を持てずに、また、片づけるのに時間がかかるからです。
興味が持てない理由は人それぞれですが、やらなくてはならないと分かっていることに興味がわかないのは、一つには意味を感じていないからというのがあります。
自分にとって意味のあることであれば、人は興味を持ちます。それをすると自分の為になるという見返りがあるからです。見返りは、知識欲の充足や褒められること、評価されるというように自分の気持ちを満足させるような精神的なものから、お給金をもらえるとかいった物欲的なものまで様々です。つまりご褒美です。そしてそれはえてして、目の前にあるモノやコトの場合が多いのです。
これこれについてこれだけ知れば将来役に立つかもしれない、というような不確定で曖昧で遠いところにあるご褒美はあまり魅力を感じないものです。
ですから、目の前のやらなければならない事をさぼって、遊んだり、他の興味があることをやったりすることで得られる満足感を満たすことにより多くの魅力を感じるのはごく自然なことです。
そしてもう一点重要なことは、これから取り掛かからなくてはならない「やらなければならない事」をやり遂げる自信が無い場合にも面倒くさいと感じるものです。
簡単にできてしまう事であれば、どのくらいの時間でどのくらいの労力でできるのか分かるので面倒くささは半減します。でも、それをやり遂げるまでにどんな労力を使うのかが分からない状態で取り掛からなくてはならないとすれば、どうしたってやる気なんて湧いてきにくいものです。
それが楽しいことであればいざ知らず、大概は楽しくないのだから。
5分だけでもいいからやってみる
ここまでで、物事を先送りにする理由というものが大体見えてきました。先の分からない子どもならまだしも、大人である私たちは子どもに先送りの習慣をつけてもらうことはよろしくない事だと自らのハンセイを踏まえて理解しているはずです。
ですので、子どもたちには面倒なことでも先送りせずにやってもらいたのですが、なかなかどうしてこれが難しいものです。
「馬を水場まで無理やり連れていけても、無理に水を飲ませることはできない。」という言葉にもあるように、無理やり何かをさせても良い結果は生まれません。
どなったり怒ったりすれば、一時的には手を付けるでしょうが、親が見ていないところではさぼりがちだし、嫌々やっているので良い習慣にもなりません。
そこで気分切り替えて試してもらいたいことは、子どもに3分から5分だけで良いからやってごらんと勧める方法です。
自分でも経験があるかもしれませんが、面倒なことでもやり始めてしまえば思いのほかすらすらできてしまったり、一気に最後までやり遂げてしまったりということは何度もあるはずです。
一貫性の法則なんていう表現もありますが、一度始めてしまえばけっこう最後までできてしまうものです。
もし、仮に5分で集中力がきれてしまったらそれはそれで仕方がないと諦め、次回は5分を10分にできたらよいねと子供をホメてあげることも大切です。
まとめ
最後までやる、かっこ悪くても良いから形にしてしまう。
最後までやりきることで得られる充足感を体験する。ということは子どもの成長にとても重要な意味を持ちます。
正直に言って最後までやり遂げたことがない子には、最後までやり遂げたときに得られる満足感や達成感を説明することはできません。こればっかりは体験してもらう以外にないのです。それこそ無理やりでもやらせて最後の一歩を自分自身で乗り越えるという経験は何事にも代えがたい自信につながります。この経験があるからこそ私たち大人は困難にも立ち向かえるし、頑張れるのだと思います。
親が子供に与えることができるのは、おもちゃや道具ばかりではありません。無理やりにでも積ませる経験というものも大切な贈り物だと私は思っています。
それこそ親が、子どもが嫌がるのを無理やりにやらせるなんて「面倒くさい」と思ってはいけないのです。